【福岡麺本2021】三刀流の味を武器に 熱き男たちの挑戦は続く! 『石田一龍 本店』
三刀流の味を武器に
北九州ラーメンを世界へ
2年前におこなった同誌の取材で、石田一龍の創業者・新森龍二氏はこう言った。
「自分一人でできることなんてたかが知れている。3本の矢のごとく、3年後には10本の矢となって、仲間とともに『北九州ラーメン』を広めたい!」。
当時はまだ『石田一龍まこと家』に続き、『門司店』『飯塚店』がオープンし、FC展開が軌道に乗り始めたばかりのころだった。3年以内に10店舗!人はそれを無謀だと思うだろう。しかしそれを実現してしまうのが、有言実行の男・新森龍二だ。
2020年に『若松高須店』と、初の県外店『大阪天満店』がオープン。さらに今年『下関長府店』『東大阪吉田店』が加わり、年内には鹿児島店、その後も出店を目指す弟子が続々控えているという。多くの飲食店が苦戦を強いられているこのコロナ渦も、石田一龍にとってはチャンスをもたらす逆風だ。
ここぞとばかりに新しいことに挑戦し、ユーチューブでほかのラーメン店と対談したり、通販を強化したりと歩みを止めず、蓋を開けてみれば本店は前年比110%以上の売り上げを達成し、税理士を驚かせた。3年を待たずして、10本以上の矢が終結した。新森氏は言う
「役者は揃った」
今年で40歳になるという新森氏。
仲間が増えた分責任も使命も重くのしかかる。ただガムシャラに走ってきたこれまでとは違う戦い方が必要になるだろう。「これからの10年は、企業の代表として、働きやすい環境づくりに努めたい。石田一龍にかかわる人の人生を、豊かなものにしたいから」。
情熱をもって旨いラーメンをつくり、仲間を大切にして仲間と同じくらい、ゲストを大切にする。さらには、過酷だと思われている『ラーメン業界』の働き方改革まで、この男はやってのけようとしている。それもすべて、ラーメンによって人生を救われてきたことへの恩返しだから。石田一龍はどこまで行くのか。その情熱の源泉に迫りたい。
沸騰する「魂」と冷静な「頭脳」
業界人を魅了する天性の人たらし
石田一龍の歴史は11年前、新森氏が28歳の頃、先代の店を継いだころに始まる。
何をやっても続かない半端者だった若い頃。最初の数年間は1日に数十杯しか売れない日もあった。そんな新森氏を変えたのは、とあるお客さんの一言だ。
「こんなまずいラーメン食べたことがない」
ショックだった。初めて悔しいと思った。
その頃の新森氏を支えたのが『石田一龍 まこと家』の代表で、北九州の老舗製麺所『安部製麺』の代表・安部さんだ。新森氏が店に泊まり込み、試作を繰り返すこと7か月間。安部さんの助言の下に完成したのが、『濃厚』と『屋台』の二つのスープ。
その真価を問うべく参戦した『北九州ラーメン王座選手権』で、2013年に初優勝を果たした。「何一つ打ち込めるものがなかった自分がラーメンを作ることで人を喜ばせることが出来た」。その喜びは、今も新森氏の原動力となっている。その後の快進撃は記憶に新しい。2017年、2019年と同大会で、2位に杯数と投票も倍の差をつけて優勝し、そのたびにグループは成長を続けた。
やんちゃな見た目から誤解する人がいるかもしれないが、石田一龍の戦略は実にクレバーだ。その日の気分や好みで選べる2つのスープに加え、昨年待望の『つけ麵』が完成し、3種の麺を使い分けることで、あらゆるニーズに応えている。
そして、石田一龍の真価ともいえるのが実は、徹底された接客だ。「仕込みは練習、営業は試合」。アスリートの如き精神で清々しいかけ声に始まり、目配り心配りをを徹底する。「一生懸命に作ったラーメンだから一生懸命に売りたい」。
ラーメンにかかわるすべてに愛情を注ぐ新森氏の情熱は、周囲の人々に伝播していく。その熱き遺伝子を受け継ぎ、各店で活躍する仲間たちの表情を見ていると、石田一龍が掲げる『北九州ラーメン』が全国に広まるのもそう遠くないと思えた。
[所]北九州市小倉南区下石田1-4-1
[☎]093-963-2650
[営]11:00~16:00 / 18:00~20:40 ※スープが売り切れ次第終了
[休]なし
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