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古賀市長 田辺一城 インタビュー

本誌編集長が最近気になる市町村長を訪れ、本音でインタビューをしていく連載の第11弾。今回は前号の本誌「かすやエリア」特集でも紹介したばかり、話題のニュースやおでかけスポット満載の魅力的な場所「古賀市」におじゃましてきました。

古賀市といえば、江戸時代から九州・福岡の交通の要として目覚ましい発展を遂げたまち。その歴史は現在も続いていて、福岡市内からも近いという立地条件や、交通アクセスや生活環境の高い利便性が注目され、近年では移住・定住先としても、さらに人気が高まっているエリアなんです。また、大企業が軒を連ねる県内有数の工業団地があり、現在その拡大に向け、国内外からの企業誘致にも積極的に取り組むなど、「ものづくりのまち」としても世界に向けて情報発信しています。

今回はそんな古賀市の市長に就任したばかり、古賀生まれ、古賀育ちの39歳(取材時は38歳)という若き市長・田辺一城市長を直撃取材。古賀市史上はもちろん、県内60市町村の中で最年少の首長であり、前職では新聞記者と県議会議員を経験。県議会議員時代には古賀市内約2万5000世帯を、一軒ごと自らの足で歩いて訪問し、古賀市内を4回以上は見回ってきたという、根っからの実践派。そんな田辺市長と一緒に、筵内(むしろうち)地区にある菜の花畑や、生涯学習センター『リーパスプラザこが』を訪れながら、市政への思いについて、たっぷりと話をうかがってきました。

インタビュアー:市長就任から約3カ月(取材時は3月中旬)ですがいまの心境をお聞かせください。

まちの経営者ですから、私たち古賀市民の生活課題に対して、どのような策を提示して解決に向けて取り組んでいくか。その成果が日々求められる仕事ですので、同じ政治家でも県議会議員のときとはかなり変わったという実感があります。県議会議員のときは、みなさんの声を聞き、課題を把握し、県議会で知事に対して「行政としてこのようなことをやっていくべきだ」という方策を提示し、それがどう判断されていくかという立場だったわけですが、いまはその立場が逆になり、受け止める立場として、仕事の質も量も劇的に変化しました。その責任の重さをこの3カ月でより一層実感しています。

就任してすぐに、重要な仕事である新年度予算を編成する仕事に取り組んだんですが、そのおかげで、かなり濃密な3カ月を経験することができました。なかでも、真っ先に取り組んだのは、行政の仕事の「見える化」です。これは選挙時に公約としても掲げていたことで、そのためにまず「産業力」「子ども」「健康・安心」という三本柱を立て、それぞれをどのような方策で取り組み、その取り組みに対していくらの予算を付けようと考えているかということを、図や表で示しながら、市民のみなさんにとって行政の取り組みがよりわかりやすく伝わるような資料作りや情報発信をしてきました。やはり、「古賀市はこれからどのような方向を目指すのか」「どんなまちに変わっていこうとしているのか」そして「それをどう持続していこうとしているのか」。新しい市長がどのようなビジョンや価値観を持っているのかということを、市民のみなさんに明確に提示し、理解していただきながら共有していくということが必要であると考えていたので、まずその取り組みを予算編成で実践しました。

インタビュアー:市長の年齢の若さにも期待感が募ります。

若いということは確かに強みのひとつではあると思います。市民のみなさんからも「失敗を恐れずにチャレンジしてほしい」という声をいただきますし、もちろんなるべく失敗はしたくないですが(笑)、問題や課題に対して突破する力というのは非常に期待されていると実感しています。ひとつのことに丁寧に取り組みつつも、スピード感を持って決断し、物事を前に進めていく。その考え方は大切にしていこうと考えています。

一方で、若いということはそれだけ人生の経験が足りないということですから、市民のみなさんや議会の方々、市役所の職員など、多くの人生の先輩方からしっかりとアドバイスをいただくという姿勢も非常に大事であると思っています。そういった意味で若さは武器であるけど、その一方で謙虚な姿勢が必要であるということは肝に命じています。

インタビュアー:新聞記者の経験から生かされていることはございますか。

まず「現場主義」ということを実践しています。一人ひとりが実際に生きている場所に出向き、顔を合わせて話し、生の声に耳を傾けるからこそ、そこに社会問題が見えてくるわけです。新聞記者時代も、その現場主義で社会問題を掘り起こすのがジャーナリズムであるという信念でやっていました。そこで培った経験や哲学は、いまの政治活動の根っこのひとつですね。

インタビュアー:なぜ政治家を目指したのですか。

ジャーナリズムで社会問題を提起することはできるが、社会制度を直接変えることは難しい。ジャーナリズムも政治も、目的は一緒だ
が、その手段やアウトプットのかたちが違うだけだと思うんです。新聞記者を経験して、私がより直接的に政策形成に携わり、その改革に取り組んでいきたいと考えるようになったこと、それこそが政治家を目指した一番の理由です。
 
いろいろと巡り合わせはありますが、政治家になる前から、これからは「地方の時代」だとずっと考えていました。この先、日本は人口減少や少子高齢化など非常に重要な問題に取り組んでいかないといけないわけですが、そのときに解決するのは、国ではなく、地方自治体であって、市町村であるべきなんです。
 
いま社会課題は多様化し、複雑化してきていますので、その背景にあるものに、丁寧にアプローチして、細やかに対応していくことができるのは地方自治体だけなんです。そのような観点からも、県議を経験した後に、さらに細かな市政に取り組ませていただくということは、政治家として非常に大きな意義があると実感しています。

インタビュアー:本誌読者には子育て世代がたくさんいます。古賀市で子育てする魅力は?

私自身もいま小学生と中学生の親でもあります。昨年まで小学校のPTCA会長もさせていただいていましたし、実際に同世代の保護者と話をする機会も多いです。
 
私の就任前から古賀市の子育て支援や教育への投資は非常に大きいです。例えば市内の全小中学校において原則35人以下のクラス編成を行なうようにしています。これは、クラスの一人ひとりの学びや育ちをきめ細かに見守り、丁寧に対応していけるようにという配慮から生まれたものです。担任のほかにも、教育の場に多くの人的配置も実施しています。これは意外に知られていないので、ぜひ知ってほしい取り組みのひとつです。子育て支援において、医療費負担の軽減や保育支援はもちろん大事ですが、学校教育をより細やかにすることで、貧困や虐待などいろいろな社会問題を早期に発見し、解決することができると私は思います。
 
また古賀市は保育所待機児童ゼロに積極的に取り組み成果が出ています。選挙公約でも「チルドレンファースト」を掲げ、市政の運営でも「子ども」というテーマを重要な基本方針のひとつにしています。自分たちが享受した社会よりも豊かな社会を次の世代に繋いでいくこと。持続可能な社会にしていくにはその考え方が必要なんです。だから子どもが大切なんです。
 
移住定住ポータルサイト『はじめよう、つづけよう、こが生活』、子育て応援プログラム『こがそだつ』など古賀市役所のホームページでもその情報をたくさん掲載して発信していますので、ぜひご覧になってみてください。また、古賀市はラグビー日本代表の福岡堅樹選手や、バスケットボール日本代表の比江島慎選手が育ったまちであり、勉学もスポーツも盛んなまちです。素敵な子育てはもちろん、海や山や川の自然環境も素晴らしい古賀市へ、ぜひ仲間や家族みんなでその良さを体験しにいらしてください!

徹底した現場主義。市民の声に耳を傾ける。まさしく「温故知新」。基本哲学は古き良きものから学び、応用哲学はいま生きる声から導き出す。県内で最も若き田辺市長は、新時代「令和」にふさわしい新しい市長のあるべきカタチを示してくれているのではないか。古賀市の今後に要注目だ!

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