【福岡ラーメン物語 のぼせもん。|70杯目 麵処 恭や】
「博多でも家系でもないハイブリット。
この中州ラーメンを広めていきたいです」
若い頃から中洲で生きてきた。だからラーメン屋をやるなら中洲と決めていた。どうせやるなら他人の真似はつまらない。他とは違う味を創りたい。こうして唯一無二のオリジナル豚骨醤油「中洲ラーメン」が生まれた。
麺処 恭や
店主 田坂 恭之介(Tasaka Kyonosuke)
1983年、宮崎県生まれ。音楽の世界を志すも断念して、21歳の時にラーメンの世界へ。『海豚や』を行列店に育て上げた後に独立し、2012年『麺処 恭や』を創業。鹿児島に支店を構えるほか、暖簾分け店も数多い。
福岡一の夜の繁華街「中洲」で長年愛されているラーメンがある。しかしそのラーメンはいわゆる博多ラーメンなどの豚骨ラーメンではない。臭みのない豚骨醤油スープに細麺を合わせたオリジナルのラーメン。今でこそ「非豚骨」のラーメンが増えている福岡だが、博多ラーメンばかりの十年以上前から人気を集めている店が『麺処 恭や』だ。
「他の人と同じことをするのが好かんのですよ。真似じゃなくて自分だけの味で勝負したい。そう思ってこのラーメンを作りました」。
店主の田之介さんは10代の頃から中洲でアルバイトをしながら音楽に魅せられていた。その時の音楽仲間が働いていた中州のラーメン店で働くようになり、いつしかラーメンの世界へ。その後、家系ラーメンと博多ラーメンのハイブリッドを目指し試行錯誤を重ね、オリジナルの豚骨醤油ラーメンを完成。プロデュース店を行列店に育て上げたのち、中洲に自らの店を構えた。
「10代の頃から中洲にいましたんで、自分で店をやるなら中洲でやろうと決めていました」。
田阪さんのラーメンは、家系ラーメンなどにみられる豚骨醤油でありながら、福岡の人たちの舌に馴染みのある甘い九州醬油を合わせているのがポイント。麺も博多ラーメンの麺に近い低加水の中細ストレート麺を短めに切り出している。家系ラーメンと博多ラーメンを融合させたまさにハイブリッド。博多ラーメンや長浜ラーメンしかなかった十年以上前の福岡で行列を作った先見性。昨今市内に似たような味のラーメンも増えているが田阪さんが元祖だ。
「僕自身が臭いスープがあまり得意ではないんですね。獣臭さではなく豚骨の甘い香りのするスープが好きなので、それを甘い醤油と合わせたいと思って作りました」。
田阪さんがこのラーメンを提供し始めた十数年前、福岡には家系ラーメンはほとんど知られていなかったが、今は市内にも多くのラーメン店が出来てきた。同じ豚骨醤油ラーメンを出している田阪さんは、今の状況をどう見ているのだろうか。
「僕のラーメンは家系ラーメンとは違うものを目指して作っていたのですが、出した当初は業界の人たちなどに「家系のパクリ」などとよく言われたものです。あの頃の福岡はまだ本当の家系がどんなものか知っている人が少なかったからですが、こうして家系が増えてくることで、僕のラーメンが我流のハイブリッドであると分かってもらえるので、良いことだなと思っています」。
中洲の地に開業して十年余り。近隣にも多くのラーメン店があるが、中洲の夜の締めとして今も多くの人がこの店を訪れる。そして店の前に掲げられた真っ赤な暖簾には店名と共に小さく「中洲ラーメン」の文字が染め抜かれている。
「実はラーメンの世界に入った時から使っている言葉なんです。博多ラーメンや家系ラーメンのように、新しく中洲ラーメンというジャンルを創り出したいという思いを込めました。これから先は中洲ラーメンを広めていきたいですね」。
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●取材を終えて
いち早く豚骨醤油ラーメンを提供した先駆者
個人的にも家系ラーメンが大好きな私ですが、 今から十数年前に西新の『海豚や』でラーメンを食べた時に、独特な甘みのあるタレと細い麺で「これは福岡スタイルの家系だ」と驚いたものでした。その後オープンした『恭や』でも何度も食べていくうちに、九州醤油ならではの甘みのあるスープがクセになりました。ラーメンは個性豊かな食べ物なので、やはり福岡のラーメンは福岡らしくあって欲しい、福岡でなければ食べられないラーメンを食べたいと個人的には思っています。そういう意味では田阪さんが生み出した豚骨醤油ラーメンは、東京や横浜ではまず食べることが出来ない福岡ならではのラーメン。これからも通いたいと思います。
【ラーメン評論家 山路力也】
テレビ・雑誌・ウェブなど様々な媒体で情報発信するかたわら、ラーメン店のプロデュースなど、その活動は多岐にわたる。「福岡ラーメン通信」でも情報発信中
麵処 恭や博多本店
【所】福岡市博多区中洲2-1-11 1階
【☎】092-262-7111
【営】21:00~翌7:00
【休】不定
【席】14席
【P】なし
【カード】不可
【PayPay】可