【福岡ラーメン物語 のぼせもん。|69杯目 ラーメン ツミキ】
「すべてのことに手を抜かない。『極上の普通』を目指しています」
人は誰しも想い出の中にラーメンがある。日々の暮らしの中に寄り添うような、気取ることのない普通のラーメンが、きっと忘れられない大切な一杯になる。そんな「未来の老舗」を予感させるラーメンがまた一つ生まれた。
ラーメンツキミ
店主 土井 勝博(Doi Katsuhiro)
1979年、山口県生まれ、20歳の時に『博多一風堂』へ入り、フレンチの世界からラーメンの世界へ転身。21年間にわたり商品開発や海外展開に従事し、一風堂の成長に尽力。2022年に独立し『ラーメンツミキ』を創業する。
福国市早良区次郎丸。県道558号線沿いに一軒のラーメン店が出来た。店の名前は『ラー メンツミキ』。当たり前のことを一つ一つ丁寧に積み重ねていきたい、という店主の想いが込められている。
店主の土井勝博さんは生まれ育った山口県でフレンチの料理人をしていた。20歳の時、新天地を求めて福岡に来たが、思うように職が見つからなかった。たまたま住まいの近くに あったラーメン店でアルバイトを始めたが、その店のラーメンに震えるような衝撃を受けた。
「ラーメンってこんなに美味しいものなのかと。そしてラーメン屋ってこんなに格好いいものなのかと。フレンチではなくて僕はラーメンの世界で生きていこうと決めました」。
その店の名前は『博多一風堂』。言わずと知れた世界に展開するラーメン界のトップランナーだが、その当時は海外へは出しておらず、国内の店舗数もそこまでは多くなかった。土井さんは国内の店舗立ち上げや商品開発などで実績を積み、海外進出の時にも責任者として世界へと率先して飛び出していった。
「韓国、香港、台湾、中国、タイ、マレーシアなど7年間で9ヶ国ほど立ち上げました。国によって違う価値観の中で、どう一風堂のラーメンの美味しさを伝えていくかに苦労しました。そこで学んだことは、こちらの押し付けではなく、その国の文化に寄り添いながら、ラーメンの本質を伝えるということでした」。
いずれは独立して自分の店を持ちたいと思っていた土井さんだったが、一風堂を全国にそして世界に広げるという仕事もやり甲斐があった。一年のうち300日は出張という日々。気がつけば20年以上もの月日が流れていた。土井さんは第二の人生として一風堂を離れて、自らの足で歩いていくことを決めた。
長年商品開発に携わって来た土井さんは言わばラーメンのエキスパート。作れないラーメンは無いと言ってもいい。ありとあらゆるラーメンの中から、自分の店で出すラーメンを豚骨醤油の二枚看板にしたのは、誰もがイメージ出来る『普通のラーメン』を提供したいという 思いと、その日の気分で好きなラーメンが選べるようにしたかったから。そのため土井さんは2種類のラーメンに合わせて、スープも具材も別々のものを仕込み、麺も小麦粉の配合から別にして自らの手で打つ。普通のラーメン店の倍以上の手間がかかるが、どちらも手を抜くことなく上質な本物のラーメンを食べて欲しいという思いが勝った。
『極上の普通』。一見普通のラーメンのようだが、全てにおいて手間暇をかけた上質な本物でありたい。それは長年ラーメンを作り続けて来た土井さんの矜持であり、決意表明でもある。
「どこかに美味しいラーメンをわざわざ食べに行くのではなく、地元の人たちの生活の中で本物のラーメンを食べられる店でありたいと思っています。そして10年後とか20年後に、今の子供たちが大人になっても来てくれて『変わらんね』と言ってくれたら何よりも嬉しいですね」。
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●取材を終えて
ツミキの魅力はこれからも積み重ねられていく
私が初めて土井さんと出会ったのは、もう20年近く前のことになるでしょうか。一風堂の数々のラーメンを形にしてきた、商品開発のプロフェッショナル、職人中の職人というイメージの人でした。そんな土井さんが自分の味として作るラーメンは、一体どんなラーメンなのだろうと期待しながらお店に伺いましたが、豚骨も醤油もごまかしの効かない直球勝負のラーメンであると嬉しくなりました。そしてまだまだ彼には引き出しが山ほどあることを僕は知っています。きっと落ち着いた頃には限定ラーメンなどで、また違ったスタイルのラーメンを出してくれることでしょう。ツミキの魅力はまだまだこれから積み重なっていくのです。
【ラーメン評論家 山路力也】
テレビ・雑誌・ウェブなど様々な媒体で情報発信するかたわら、ラーメン店のプロデュースなど、その活動は多岐にわたる。「福岡ラーメン通信」でも情報発信中
ラーメン ツミキ
【所】福岡市早良区次郎丸3-24-1
【☎】092-407-6387
【営】11:00~14:00/18:00~20:00
【休】日曜
【席】15席
【P】あり
【カード】可