【スペシャルインタビューin糸島】Fuku Spo – アビスパ福岡/佐藤凌我
FW 佐藤凌我(背番号27)
チームのために。
そして、サポーターのために。
’15年3月号の城後寿選手のインタビューから始まったアビスパ福岡の連載。
記念すべき第100回に登場してくれるのは、今季加入した福岡出身の佐藤凌我選手。
友人が経営しているという糸島のハンバーガーショップ『goofy』で、
これまでのサッカー人生についてたっぷり聞いてきました。
取材・文/岩井咲里香 撮影/朝山啓司
“チーム”のために
縦横無尽にピッチを駆け回り、最後の最後まで必死にボールを追いかける。チームのために走り続けるその姿は、“献身的”の一言では語り尽くせない。彼のひたむきなプレーに、我々は何度胸を打たれただろう。
昨シーズン、J1残留は果たしたものの、18チーム中14位という結果に終わったアビスパ福岡。課題とされた得点力不足を解消するため今季獲得したのが、福岡出身のストライカー・佐藤凌我だった。
開幕戦からベンチ入りし、短い時間の中でもインパクトを残し続けた彼は、リーグ戦でも先発起用される機会が徐々に増えていった。しかし、彼がゴールネットを揺らす瞬間は、なかなかやってこなかった。
そんな中で迎えた6月7日の天皇杯2回戦。ウェリントンのヘッドで先制し、迎えた後半35分。ゴール前で浮いた球を胸トラップで収め、再びリフティングでふわりと浮かせた。そして次の瞬間、彼は宙を舞った。記念すべき移籍後初ゴールは、華麗なるオーバーヘッド弾だった。
「期待されていたのも感じていたし、サポーターの点を取ってほしいという気持ちも伝わっていたので、早く決めたいとずっと思っていました。なんとか決められて、ホッとしました」。
本人はもちろんのこと、サポーターにとっても待ち望んでいた瞬間だった。平日開催にも関わらず、大きな歓声がベススタに響き渡った。
その4日後に開催されたJ1リーグ・名古屋グランパス戦。スタメンに起用され、再びチャンスが訪れた。ペナルティエリア内で相手に倒され、PKを獲得したのだ。しかし、彼はキッカーを山岸に譲ろうとしていた。
「やっぱりチームで一番点を取っている選手ですし、信頼もありますし。負けている場面で大事なPKだとわかっていたので、ベストは(山岸)祐也くんが蹴ることかなって。でも、祐也くんが『お前が蹴れ。ここで決めたら絶対変わるから、自信持って行け』って言ってくれて、蹴ることにしました」。
自分の数字よりもチームの勝利を優先しようとする。しかも、どこよりも数字が求められるFWというポジションで。ここまでチームのために尽くすことができるのは、何故なのだろう。
「大学時代の経験が大きいです。大学でもユニフォームを貰える人数は限られていて、後輩の自分がユニフォームの番号を貰うことで、4年間やってきた先輩が番号を貰えないということがリアルに起きて。だからこそ、その先輩の分も頑張ることができたし、自分のためにプレーしていたらダメだなって思ったんです」。
正しい選択と運
人生の分岐点に立たされる度に、大きな決断を迫られた。迷うことももちろんあったが、その一つひとつの選択が、今に繋がっているという。
4歳の頃、通っている幼稚園にサッカーチームができた。一個上の兄とともに所属し、漠然とプロを夢見た。特に憧れの選手がいるわけでもなく、ひたすらサッカーをするのが好きだった。
最初の選択は、中学卒業の時。夢を実現するべく、全国に一番近くて最も成長できる環境に身を置きたいと、名門・東福岡高校への進学を決めた。
しかし、現実は甘くなかった。小田逸稀や藤川虎太朗(ジュビロ磐田)ら同級生が2年から主力として活躍していた中で、彼は最後までスタメンの座を掴むことはできなかった。それでも、彼は常に前を向いていたという。
「高校時代は少ないチャンスでいかに自分が結果を残すかを考えながら、自分にフォーカスを当てて練習していました。悔しさはもちろんあったけれど、周りと比べて焦ることはなかったです」。
そして、高校卒業時に二度目の分岐点が訪れた。
「大学でもサッカーを続けるか、少し迷っていたところはありました。明治はきついって聞いていたので、正直悩みましたね。でも、大学は関東に出たい気持ちがあって、高校の監督や両親と相談して、『せっかく出るならサッカーに集中できるところに行け』と背中を押してもらって、明治に決めました」。
それまで実家暮らしだった彼にとって、いきなり8人部屋での寮生活は堪えたという。しかし、この大学での4年間は、彼がプロサッカー選手になるために必要不可欠な時間だった。
「チームのためにプレーするという精神は大学時代に確立されたと思います。あと、(栗田大輔)監督から言われて今でも残っているのは、“悪い時に何ができるか”。『いい時は何をやってもうまくいく。大事なのは、結果が出ない時に自分に何ができるか考えることだ』と言われ続けていたので、結果が出なくても今できることをコツコツと積み上げる大切さを学びました。寮生活も大変でしたが、いい経験というか、その経験をしたから今は何でもできる気がします(笑)」。
3年のインカレでは優勝を果たし、彼は大会得点王にも輝いた。これまで積み重ねてきた努力が、まさに実を結んだ瞬間だった。
人生をかけて来てくれているから
もちろんプロになれる自信はあった。全国大会で得点王にもなったのだから。しかし、新型コロナウイルスの影響で、状況は一変した。
「コロナ禍でリーグ戦が遅れて、プレーを見てもらえる機会も全然なくて。監督にも就活やっとけよって言われて、トレーニングをしながら就活していました」。
金融系の企業から内定を貰い、プロは諦めるしかないと思っていた矢先に、J2の東京ヴェルディから声がかかった。
一度は諦めかけたプロの夢。その道を切り開いてくれたクラブへの恩は、結果で返していった。大卒ルーキーとして加入し、2年連続で13得点をマーク。ヴェルディにとって、欠かせない選手となっていた。
「最初に声を掛けてくれたという感謝の気持ちもありますし、在籍した2年間ですごく濃い時間を過ごさせてもらったので、やっぱりヴェルディへの思い入れは強いですね」。
だからこそ、アビスパからオファーを貰った時は揺れたという。
「即決はできなかったです。アビスパから声をかけてもらった時は、もちろんめっちゃ嬉しかったです。でも、2年間ヴェルディでいい時間を過ごさせてもらったのに、J1に昇格させられなかったという責任も感じていて…。最後は、J1という次のステップにチャレンジしたいという気持ちで、移籍を決めました」。
自分自身で悩み抜き、覚悟をもって地元福岡に帰って来た。
「本当にいいチームです。みんな仲良いけれど、サッカーにおいて馴れ合いはなく、厳しく言える人もいます。そして、やっぱり城後さんの存在は大きいです。城後さんが真面目に頑張っている姿をみんなが見ているから、誰もサボれません。本当に欠かせない存在です」。
今シーズンでプロ3年目を迎える。7月8日の札幌戦では、Jリーグ通算100試合出場を達成した。今後も200、300と積み重ね、いつかアビスパ福岡の顔となる存在になっているかもしれない。
そんな彼が、理想とする選手像とは。「自分のプレーを観て、『観に来てよかった』『明日の仕事も頑張れるな』とか、活力を与えられる選手になりたいです」。
そして、こう続けた。
「サポーターの方々はお金を払って、自分たちと同じように人生をかけてスタジアムに来てくれていると思っています。だから、失礼なことは絶対にできないし、一人のサッカー選手として感動を届けないといけないなと」。
彼のプレーに思わず心を奪われてしまう理由が、この言葉に詰まっているような気がした。
【プライベートに関するQ&A】
Q.糸島は来ますか?
A.昔は結構来てましたね。高校までは、夏に地元の友だちと海に行っていました。最近もたまに海鮮とか食べに来てます。糸島は海が綺麗で、緑もあって好きですね。お気に入りのスポットはここです(笑)!
Q.最近、小田選手とどこか行きましたか?
A.サガン鳥栖の岩崎悠人と3人でサウナに行きました。逸稀と悠人がもともと仲良くて、一緒に会うようになりました。サウナは結構ガッツリですね。基本は12分入るんですけど、温度が低い時は長めにしたり、ロウリュも好きです。
Q.趣味はありますか?
A.今は探し中ですね。去年はキャンプが好きで、キャンプ用品をめっちゃ集めて前のチームの選手たちと行ったりしてました。あとは、アニメとか映画とかいろいろと観てますね。(金森)健志くんに勧められてアマプラの「ラブ トランジット」を観たんですけど、面白かったですよ!
Q.好きな女性のタイプは?
A.え~、なんだろう…。良い子だったら大丈夫です(笑)。当たり前のことを当たり前にできて、沈黙が苦にならないような居心地がいい人…かな?
〈PROFILE〉佐藤凌我
フォワード 背番号27
生年月日 1999年2月20日
身長 178cm 体重 65kg
出身地 福岡県福岡市
’14年に次郎丸中を卒業後、名門・東福岡高校へ。その後明治大学に進学し、4年時には全日本大学選抜に選出される。’21年、東京ヴェルディへ加入。大卒ルーキーとして13ゴールを決め、主力として活躍。そして今季、アビスパ福岡へ完全移籍
〈LOCATION〉糸島バーガーカフェ goofy
住所 糸島市志摩芥屋911-2
電話 092-332-0929
営業時間 11:00~18:00
定休日 不定
席数 16席
駐車場 あり
カード/可、QRコード決済可