日田の夏の伝統行事 第36回「日田祇園」開催!
九州の山あいに、絢爛豪華な祭あり。。
開催日:7月14日(日)
開催時間:午後6時30分頃~
開催場所:JR日田駅前
隈・竹田地区4基、豆田地区4基及び平成山の合計9基の山鉾がJR日田駅前に集合します。
※天候により、中止となる場合がございます。
約300年の伝統を誇る日田の夏の伝統行事「日田祇園」。
疫病や風水害を払い安泰を祈念するこの祭りでは、絢爛豪華な山鉾が、祇園囃子の音色と共に隈・竹田地区、豆田地区の町並みを巡行します。
また、夜には提灯(ちょうちん)を飾り付けた優雅な晩山の巡行が行われ、祭りは一気に最高潮に達します。
日田祇園の歴史・概要
日田における祇園信仰は、およそ500年前に悪疫鎮護の願いを込めて始められ、正徳4年(1714年)には、現在のような山鉾が奉納されていました。
祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。豆田八阪神社・隈八阪神社・竹田若宮神社の三社の祭礼行事で、平成8年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
これらの山鉾は、すべて町内の皆さんの手作りによるものです。毎年、歌舞伎の一場面を題材とした飾りつけが行われ、日田唯一の人形師「長嶋静雄さん」の手により、各山鉾に乗せられた人形に命が吹き込まれます。
第36回日田祇園 山鉾集団顔見世
「日田祇園山鉾集団隈・竹田地区4基、豆田地区4基、平成山、合せて9基の山鉾が JR日田駅前に一堂に会する顔見世」。
豆田地区
【豆田の起こり】
江戸時代の慶長6年(1601年)に、小川壱岐守光氏が丸山城と称して月隈山 (現・月隈公園)に築城した際に、城の東側に十二町村から商家を移して町が開かれました。
元和2年(1616年)には譜代の石川主殿忠総が丸山城を改築して永山城と改め、城下の武家屋敷を花月)Ilの対岸まで拡大し、豆田町としました。
その後、幕府の直轄地「天領」となり代官所が置かれ、昇格し西国筋郡代役所になり、九州の政治、経済の中心として栄えました。
また、幕末には廣瀬淡窓が咸宜園を開き、全国から塾生が集まってさました。
隈・竹田地区
【隈の起こり】
文禄3年(1594年)に、豊後日田 ・ 玖珠2万石の蔵入地代官を務めた豊臣秀吉配下の宮木豊盛(長次郎)が日隈山(現在の亀山公園)に城を築き
その対岸に開いた城下町が起源です。
慶長元年(1596年)には、後に豊後佐伯藩の初代藩主となる毛利高政によっ
て、現在の町割りの原型が作られたと言われています。
当時は、現在の中本町、隈;亙 1·2丁目を二重の堀と土星で囲み要所に木戸門を設けて朝夕に開閉していたと言われています。
【平成山鉾】
今年35年Hを迎える平成山鉾は、日田祇園の曳山行事がユネスコ無形文化遺産に登録された際の記念イベントとして福岡市役所周辺での巡行に参加し、
また、 熊本市で行われた『祭り アイランド九州』でも巡行いたしました。その翌8には、ラグビーワ ールドカップで8田祇園のPRの為、 大分県立美術館に約308間泄界中の人達に平成山鉾を見ていただきました。
今年の華題は『清涼山石橋』赤獅子・白獅子の迫力ある見事な人形と山鉾を是非ご覧く ださい。
【日田祇園囃子】
日田祇園において神事の風情を現しかつ威勢をつけるためのお囃子で、笛、 太鼓、 三味線の音色で山鉾巡行に華を添えます。
曲目は江戸から昭和初期にかけて流行した端唄・俗曲を、 山鉾の囃子にアレンジしており、 山鉾巡行の為に H田の庶民が生み出した素朴なお囃子です。
現在は保存会が結成されており、古くから伝わる伝統の音色を継承しています。 手作りの篠笛による独特の音色をお聞きいただきたいと思います。
【祭礼への流れ】
【駐車場のご案内】
お問い合わせ先
日田まつり振興会事務局(日田観光課)TEL:0973-22-8210 日田祇園山鉾会TEL:0973-24-6453 日田市観光協会TEL:0973-22-2036