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Fuku Spo – アビスパ福岡 /中原 貴之

中原 貴之(Nakahara Takayuki)
フォワード・背番号 9

コンディションを上げて、 勝利のためになんでもやる

今年のチームはメンバー的に良い選手が揃っているので、J1復帰が絶対使命と思ってやっています。(昨年6月に手術した左膝の状態は)もっともっと試合を重ねてコンディションを上げて行きたいという状態です。今は練習試合に出てもマックスでも45分くらいなので、焦らずにリーグ戦に出て貢献できるように積み重ねて、暖かくなった頃に良い状態に持って行きたいと思います。復帰したら、チームが勝てるようになんでもやりたいですね。先発でも、途中からでも、負けていたら点を取りたいですし、勝っていれば前線からしっかりと守備をして守備陣を楽にさせたいです。とにかく、出た時の状況に応じて必要とされることをプレーで表現したいと思います。

 

焦らないようにしたリハビリ チーム状況が悪い時に 力を出したい

強いて転機と言うなら、サッカー強豪校の多々良学園高校(現高川学園高校)に進学して、本気でサッカーに取り組んだことですね。最初は進学校に行くつもりだったので、中学時代はサッカーよりも勉強の方に比重を置いていました。でも、兄が通っていた多々良学園から誘いがあり、勉強とサッカーで心が揺れ、数回の家族会議を経て自分の意見を通して多々良学園に行きました。結果的にはあの時にサッカーを選んで良かったと思います。でも、親はブチ切れていましたよ。親に送迎してもらって塾に通い、深夜12時過ぎまで待ってもらっていたので。どうも親には僕がサッカーを真剣にやっていると映っていなかったみたいでしたし、父が公務員だったので、安定した道に進むことを望んでいました。ただ、僕は言い出したら聞かない性格なので、最終的には納得してくれました。実は高校卒業時にもプロに行くか、大学進学するかでも揉めました。大学から推薦の話をいただいたので、親には「大学に行け」と言われましたが、ベガルタ仙台の練習に参加して、プロに行くことを決めました。

ケガも転機と言えるかもしれません。ケガすると少し落ち込みますが、最近では客観的に見られるようになりました。でも、さすがに昨年の左膝前十字靭帯を切った時は少し怖くなりました。でも、これにビビって思い切ったプレーをできないのならサッカーを辞めた方がいいので、ビビらずにプレーしようと思っています。ケガをした瞬間に今までの膝のケガと違うなという感覚があり、痛みや膝の感覚が尋常じゃなかったのですが、意外に冷静でした。全治8ヶ月と聞いた時は「時間がかかるな」と思いましたが、すぐに同じケガをした先輩選手やチームメートの(中村)北斗やツツ(堤俊輔)に話を聞きました。

リハビリ期間は長く、その日によって痛みが出たり引いたりしていました。でも、それに一喜一憂せず、「8ヶ月かかるから、その間にはうまくいかないこともある」と考えて、焦らないようにしていました。チームトレーナーがそれを受け入れてくれたことも良かったですね。もちろん、焦ることはありましたよ。特に昨年の終盤はJ1残留を争っていたので、「こんな時に俺は何をやっているんだ」って思いました。でも、そこで焦っても仕方ないので。サッカーをできない期間が長かったんですけど、こうして戻って来れたので良かったです。

ケガをしてからは家族には迷惑をかけたと思います。子どもも小さいながらに気を遣ってくれていましたし。だから早く復帰して試合に出ている姿を見せたいですね。それが家族のためでもあるし、チームのためでもあります。選手としてプレーし続けるなら結果を出さないといけませんし、すべてひっくるめてやるしかない。メンタルなどすべての面で強くなったと思うので早く試合に出たいですし、必ず良いプレーをみなさんにお見せします。今、チームは調子が良いので、チームが厳しい状況になった時にチームを元気づけるために力を発揮できればいいと思います。

 

恩返しをするために 練習からしっかりと準備したい

ケガをしてからアビスパのサポーターやベガルタのサポーターに多くの励ましをいただきありがたかったですし、感謝の気持ちでいっぱいです。サッカー選手で良かったと改めて感じました。この気持ちを試合のグラウンドで少しずつかもしれませんが、恩返ししていきたいと思っています。これからも応援よろしくお願いします。監督が「コイツを使いたい」と思った時に行けるようにしっかりと練習から準備していきます。

※シティ情報Fukuoka 2017年5月号本誌掲載

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