トップに
戻る

【インタビュー】イムズで詩人・最果タヒの個展とインスタレーションが開催!「パッと出合ってパッと消えちゃったけど、ずっと過去の中に残り続けるみたいな言葉になればいい」

中学生の頃からインターネット上で言葉を発表し始め、SNSの活用、作詞、詩の映画化、ホテルや商業施設とのコラボレーションなど、詩を用いた新しい運動が目を引く詩人・最果タヒさんが九州初の個展をイムズのアルティアムで開催します。先駆けてイムズでは最大4.4mの立体オブジェをはじめ、新作の詩9編をエスカレーターサイドや手すりなど館内17箇所に配置したインスタレーションも開催中です。
コロナ禍を経ての今回の展示の開催について、そして最果さんの思う現代の言葉の“危険でもったいない扱われ方”についてお話をうかがいました。

 

■「自分自身はこういう言葉が好きなんだな」と思うことで自分の足場がしっかりしてくる。
詩は日常の一部であってほしいという思いがずっとあります

 

――今回、イムズに書き下ろした詩はどのような思いで執筆されましたか?

この詩を書いた頃は緊急事態宣言が出るか出ないかの時期で、サマーキャンペーンということでご依頼いただいたんですけど、今年の夏は例年とちょっと違うのではないか、夏の到来を喜ぶような言葉では足りないものがあると感じたんです。外出もなかなかできませんし、季節のイベントも減っていました。季節の到来が生活の真ん中にあまりないなというのが気になったんです。

それに、自粛期間中って人によってあまりにも状況が違うと明らかになって、例えばリモートワークの方がはかどるし助かるという人もいれば、大変になった人もいる。同じ問題に向かっているはずなのに、みんなぶつかる困難や思っていることが違うということが凄くわかる春でした。季節というのは、どこか「みんな」という主語で迎えるようなところがあります。そういった点でも、季節の見え方が今年は変わると思いました。

それでも季節がなくなるわけではなく、外にあまり出ないぶん、窓を開けた時に入ってくる風や、外の眩しさに、たしかに新しい季節は来ていること、時間が進んでいることを実感することが増えました。ずっとこんな日々が続くのかなという不安の中で、そのことはとても鮮やかに思いましたし、とても重要に感じたんです。ですので今回は夏だということよりも時間が進んでいくこととか未来に向かっていくことを大切にして詩を書こうと思いました。時間が進んでいくことは不安もあるんですけど、不安の中にこそ希望もあって、希望は進んでいくから見えてくるので、そこを夏に投影するように書いてみました。


――開催中のインスタレーションでは、イムズという大型の商業施設の館内で詩が突如現れる仕組みになっています。なにか意識したことはありますか?

本で詩を読んだりする時って、「詩を読むぞ」という心の準備をしてから読む方が多いと思うんですけど、建物の中とかでパッと詩に不意打ちされるような出合い方をすると、通常よりも「これは何が言いたいんだろう」とかあまり考えないでスッと馴染んでしまうものがあるのかなと思っています。

詩は、「どう読んでほしいか」という正解が既に準備されている言葉ではなく、読む人によって解釈は異なっていいし、その人の中で完成するものだと私は思っています。何を言いたいのかということがコミュニケーションの中では重視されるし、わかりやすい言葉が良いものとして扱われている中では、一つの正解をやり取りするのが言葉だ、と捉えている方もいて、そういう方にとっては詩も「正しく読む」必要があるものなのかもしれないです。けれど詩は、わかりやすさを求めるために切り捨ててきた、自分の中の「伝わりそうにない気持ち」「共感などしてもらえない気持ち」の存在を照らすようなものでもあって、「正しさ」を探る時間もないまま、不意打ちで言葉に出合った時、みんなの正解ではなく、その人だけの感情に言葉が届くような気がするんです。

意識したのは、夏って他の季節より一瞬という感覚があって、光が眩しいからだと思うんですけど。パッと出合ってパッと消えちゃったけど、ずっと過去の中に残り続けるみたいな言葉になればいいなと思ったので、短いフレーズとかそういうものを大事にして書いていきました。「全体はおぼえてないけど、あの一文はすごくおぼえていて気になる」みたいな、その部分からじわっと詩が自分の日々に溶け込むことがあればいいなと思っています。


――ただ詩を読むだけではなくて、読む人自身が詩を読むために体を動かすという、フィジカルが伴う点がユニークですね。

角度によってどの詩が見えるか変わって、「ここからの角度いいな」と思って写真を撮る人もいると思います。でも、そのいいと思う角度って人によって違って。私の作品だけどその人が主体の言葉に生まれ変わっている気がします。

言葉の背景には読むその人の人生や感情があって、それらとともに言葉は、作品として完成していくと感じています。私は、「読む」って能動的なことだと思うんです。作品を書き手から一方的に受け取るというより。写真にはそのことがはっきりと現れるんじゃないかなと思っています。

「最果タヒ 詩の展示」展示風景(横浜美術館、2019年) 撮影:山城功也

――今回の企画のように日常の中で詩と偶発的に出合うことはあまりない気がします。詩と日常の境界線についてどのように思われますか?

私は詩は日常の中にあるものであると感じています。詩を読むということが凄く特殊に思われることが増えてしまって、例えば読み慣れていない人が詩を読む時に身構えて1行ずつ読み解かないといけないような気持ちになってしまって、読めなくなっちゃったり、なにが書いてあるかわからなくなったりしてしまう。そういうことが凄くもったいないなと思っています。日常って全部が合理的なわけではなく、根拠なくやったことが自分の何かを決定づけてしまうことって結構あると思うんです。「私」というもの自体、曖昧で、自分自身でも全てを把握することはできない。わからない部分をたくさん抱えながら、それに振り回されて生きるしかないです。

詩の言葉もそういう部分が強くて、詩は「わかってもらう」ために書かれる言葉ではなく、わからない部分をわからないままで言葉にしていくような、そういうものではないかと私は思っています。そうした言葉を前にした時、「なんとなく好きだな」とか「理由はわからないけど気になるな」と思えるのは、わからなさを抱えている人間にとっては本当に自然なことだと思うし、そういう瞬間を目指して言葉を書いているように思います。全て理解してもらわないといけない、共感してもらわないといけないと思っていると疲れてくるじゃないですか。そういう時に説明はできないけど自分自身はこういう言葉が好きなんだなって思うことで自分の足場がしっかりしてくるのではないか、と思っています。日常の中に、その人自身の中に、詩に近しいものはすでにあって、それらの輪郭をくっきりさせるのが詩の言葉であるのかもしれないです。


――今はインターネットを介して誰でも気軽に言葉を発信できますよね。コロナ禍によりSNSツールやオンライン上で言葉を交わす機会はますます増えていますが、最近の言葉の扱われ方について最果さんが思う部分はありますか?

言葉については、いろんな変化が起きていると思います。コロナによって、みんなが同じ問題に向かうことになり、それでいて、何を辛いと思うかは人によって違うんだということを強く実感することも増えました。そういう中で、みんなに分かってもらえること、共感してもらえること以外を発信することが、前以上に怖く感じる人もいるように思います。「これぐらいのことで辛いって書いちゃいけないのかな」とか、「きっとこんな気持ち、みんなにはわかってもらえないだろうし、書かないでおこう」とか。個人の意見を個人として発信できるのが言葉なのに、それがなくなっていて、みんなが求めている言葉だけを発信しようとしてしまう。そうやってだんだん自分が何を考えているのかわからなくなるということが増えているのかなと感じています。そういった粗さはとても危ないものだと思っています。

ネットの誹謗中傷とかもそうで、ネット上の有名人とかに暴言を吐く時って、自分自身が何かその人に嫌なことをされて言い返すとかではなく、よそからの情報や偏見が頭にあって、その情報に反射的に反応して、石を投げるみたいなことなのだと思っています。その時その人自身の感性は一切発動していないように感じるんです。その人自身が個人として相手に向かい、自分の言葉を発することを実は放棄していて、「みんながそう言うから」とか、「みんなが怒っているから」と、自分の感性ではなく「みんな」を根拠にして、石を投げてしまう。自分の血が通った言葉じゃないからこそ、相手に血が通っていることを想像できないし、凄く暴力的な言葉を投げてしまう。そういったことが凄く問題なんじゃないかと思っています。画面の向こう側にいる人が血の通った人間だとわからないとよく言われていますけど、発言する側も自分の感性をないがしろにしているのではないか、と思うんです。そうなると他人を思いやることや、他人がどう思うかがわからなくなるんじゃないかなと思っています。

 

撮影:朝岡英輔

●最果タヒ / ’86年生まれ。’06年、第44回現代詩手帖賞を受賞。’07年に発表した詩集『グッドモーニング』で第13回中原中也賞に選出、’15年『死んでしまう系のぼくらに』で第33回現代詩花椿賞を受賞。’16年に刊行した『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は翌年に映画化された。

■最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。

日時:8月8日(土)~9月27日(日)
時間:10:00~20:00
休み:なし
会場:三菱地所アルティアム(福岡市中央区天神1-7-11 イムズ8階)
料金:一般400 学生300 高校生以下無料
※ミニ本付き特別チケットは各1000円増(なくなり次第終了)
問い合わせ:三菱地所アルティアム
電話:092-733-2050

■最果タヒ 詩のインスタレーション
日時:開催中~8月30日(日)
会場:メイン展示:地下2階イムズプラザ その他展示:1階、3階、4階、6階、7階、12階、13階、エスカレーターサイド、エレベーター内、大型懸垂幕
料金:無料

SNS運用代行サービス