【インタビュー】田川市で初監督作品を手掛けた池田エライザが伝える夢や青春、そして幸せについて。「大切なのは“幸せ上手”になること」
女優に限らず、音楽や文筆業、写真家など多岐に渡る活躍を見せている池田エライザさんが、また一つ映画監督という新たな扉を開きました。地元・福岡の田川市で撮影された青春物語には、今年失われてしまったノスタルジックな日本の夏模様と、言語化できない10代の戸惑いが映し出されています。
幼少の頃から共に和太鼓に励んできた2人の青年が高校3年生の夏を迎え、夏祭りでの和太鼓披露を目前にして1人が「受験に集中するために和太鼓を辞める」と言い出したことをきっかけに、2人の関係性や心情に変化が訪れます。田川市での少年との出会いを通じて書き上げたという本作について、池田エライザ監督の胸の内を聞きました。
今の世の中だと先々のことに目がいって
過去と今を疎かにしてしまう。
自分を形成したものが多く詰まっている
原体験に触れてほしい
――物語の舞台である田川市の魅力はどういったところで感じましたか?
シナリオハンティングに行かせていただいたのが2018年の12月で、私はその時に初めて田川市を訪れました。町はとても静かで、というのも車で通学されている学生さんも多いんですね。高校生ぐらいまでの子たちは両親に送ってもらっていることも多いみたいで、町を歩いている方が少ないけれども、お店とかに入ってみたり、学校を尋ねてみたりすると地域全体で子供を育てているというか。こういうご時世ということもあって、今少しずつ忘れられかけている人情味や人の温かさみたいなものは凄くダイレクトに感じました。
――田川市の方々との交流で印象的なやりとりはありましたか?
中学生十数名、高校生十数名、20代やお父様お母様方十数名と、それぞれ1時間ずつ座談会を開いていただいて、そこで町の方々の悩みであったり、子どもたちであれば夢などを聞いて、そんな彼らの声はかなり脚本に落とし込んで書きましたね。主人公・翔の親友である泰我のモデルになった少年がいて、「将来の夢は何だい?」と聞いた時に、「公務員になりたいです」って言っていて、そうかそうかと。その少年は日焼けもしてましたし、スポーツ刈りというか髪を短く切り揃えていたので、気になるなぁと思って、座談会が全て終わった後にもう一度来ていただいて、もう少し話を聞いてみたら「親が喜んでくれる」という意識ももちろんあるし、言葉の節々から「町のためになりたい」という素直な気持ちが感じられて、彼にとって一本筋が通った夢だったんだなぁって。若い子には無謀な夢を手放しに抱いていてほしいという大人の勝手な願望と、それが実際できないような世の中の矛盾が今ある中で、彼のように自分で考えて自身について知って、それで夢を見つけているというのは凄く素晴らしいことだなと思って。そんな彼も救われるような映画を撮りたいなと思って、彼と会ったその日の夜にバーッと脚本を書きました。
――映画を拝見して、自分が田舎にいた頃や、10代の頃はどんな感じだったかなと思い返してみたりしました。すると、「今、自分はティーンエイジャーである」という意識が特にないまま、無自覚に過ごしてしまったなという思いがあって。そういった10代のかけがえのない時間であったり、自分の可能性について見つめ直すきっかけになる作品だと思ったんです。
嬉しい。おっしゃる通りで、こういう世の中だと先々のことに目がいって、将来に不安を抱いて、過去と今を疎かにしちゃうんだけれども、自分の原体験にこそ己の本質みたいなものや自分を形成したものがたくさん詰まっていて、今の人たちにそういう機会に触れてほしいんです。もちろん対策を練って予防線を張って生きるのもいいんだけど、今ちゃんと自分にしっかりと軸みたいなものを通さないと、自分が予測できなかった事態になった時に歩けなくなっちゃうし、進めなくなっちゃう。そういう機会をということでこの映画を撮ったので、今のコロナが来るなんて知らない中で撮ったけど、ありがたいことに日本はほとんどの子どもたちが学校に行けている現状で、夏も毎年来るものだと思っていたじゃないですか。それぞれの日本人が持つ“夏”や“学生”という原体験が、昔の自分を一番思い出させてくれる瞬間なのかなと思っていて。私はお仕事ばかりの学生時代で、そういう自覚が強かったんですよね。「私は学生だからもっと遊ばなきゃ」って。でも、無自覚だからこそ、今は男同士であんなに仲良くしてたら「BLだ」とか言われるけど、そんな名称すら、そんなカテゴリーすら知らなかったからこそ、本当に友だちのことを好きだと言えていたと思うし、社会的な距離なんてなかったと思うし。そういう無自覚さみたいなものは憧れでもありました。
――公務員を目指す泰我が翔に「お前には俺が滑稽に見えるやろ!」と気持ちを爆発させるシーンがありましたが、池田監督ご自身は周囲と異なる10代を過ごされてきたと思います。
良い・悪いってうっすらあるじゃないですか。先ほど言ったように、子どもに無責任に夢を抱いてほしいという大人もいれば、親はやっぱり安定した職についてほしいと願うし、その矛盾の間に生きていると、当人同士の彼らが衝突しちゃうんですよね。彼らは何も悪くないのに、いろんなコンプレックスを抱いてしまったりして。これまでは当たり前のように友だちと楽しく日々を送っていただけなのに、「大人になりなさい」という期限が近づいてきたというだけでいろんな自覚みたいなものが芽生えてきて、自分が恥ずかしくなったりとか。私の場合は学生時代に「数年後には上京するから友だちを作らないほうがいいなぁ」とか、そんなことを考えちゃってたから、翔と泰我のことを「青いなぁ」と思いながら撮ったりしていましたけどね。
――映画の中には監督が日頃からお好きな小説やギター、インコなどが登場します。いろんなものに興味がおありだと思いますが、さまざまなジャンルで活動をされているエライザさんが王道の青春ムービーを撮られたのは少し意外でもありました。
文芸誌でお世話になっている方やヘアメイクさんなどは「エライザっぽいな~!」って笑い飛ばしてくれる方もいらっしゃいますし、それでいいのかなって。私が作ったどうこうというのを気にしてくださるのはもちろん嬉しいのですが、もっと観客の皆様が自分のことを考えてほしいという思いで作っているので、言ってしまえば私の名前が出なくてもいいんじゃないかって。エンドロールで出てくる私の名前を、ちっちゃくちっちゃくちっちゃくしようとしていたんです。監督の名前が最初大きすぎてビックリして…。「そんなに私の名前出さなくていいから」って(笑)。映画は観ていただいて、皆様の意思みたいなものが入ってやっと立体的になるので、そういう意味では「頑張って稼働するかぁ」って思いますけどね。自分のことについてゆっくり時間をとってほしい…そんな感じですね、この映画は。
――中心キャストの倉悠貴さん、石内呂依さんのフレッシュでナチュラルな演技も印象的でした。2人との交流を経て何か感じたものはありましたか?
実は、演出以外ではあまり話していなくて。人間の豊かさみたいなものって本来無限大で、それを大人になるにつれて制御して疲れないように、心が折れないようにどんどんスイッチを切っていっていると思うんですけど、それをお芝居によって2人のブレーカーを入れるような作業だったというか。彼らの原体験についてはよく聞きました。たまにほら、地雷ってあるじゃないですか。それを探すような感じで、「こういう人生を送ってきたならばこういうことがプライドをくすぐるんじゃないか」とか、そういったことを観察はしましたね。でも、彼らも緊張していますしね。あまり私とは喋りたがっていなかったと思いますよ(笑)。
――高校3年生である翔と泰我の言語化できない感情が映っている作品でもあるなと思っていて、それが鮮やかに表現されたのがラストの和太鼓のシーンですね。あの場面は一転してとてもエモーショナルで、役柄としてだけでなく、人間としても倉さんと石内さんは撮影期間に成長したんだろうなと感じられました。
そのことは本人たちも言っていますね。言語化について話すと、実は台本上は「そこ言わせちゃうんかい」ということも言わせていて。「幸せは身近にあるよ」ということもわざと言っちゃえと。観ている人も賢いから、この話がどういう話かは自分たちで考えて自分たちなりの答えを見い出すと思ったので。そして言語化できない言葉は、言語化しない。自分のことについてはみんな話さないけど、他者にいっぱい気を遣うみたいな。それって今の我々じゃないですか。でもSNSでは言語化しようとしちゃうんですよね。それがどんどん逆の刷り込みで、SNSに書いた自分についてそれが本当の自分だと思ってきちゃったりする。そういうことから少し隔離しているの翔ちゃんなんです。翔ちゃんみたいに自分について話すことを怖がって大切にするのが、今をちょっと上手に生きる方法の一つでもあるのかなと思います。私も取材でいろんなことを話すけど、「まだ整理がついてないな」というようなことは自分の中で全部言語化できるようになるまで大切に取っておきたいタイプなので、そういう意味では翔ちゃんと私は凄く似ている部分が多いです。
――幸せになるために公務員を目指すという泰我を見て、翔は度々「幸せってなんだろう」と考えます。その定義についてどう思われますか?
これは私がもともと持っている概念なんですが、“不幸せほど適温で居心地の良い場所はない”と思っていて。どこか幸せであり続けることが怖いと思う生き物なのかな、人間は。幸せを一度手にすると手放したくないという意地で、結果的に不幸せになっていくんじゃないかなと。みんな悲劇のヒロインでありたいと感じる要素として、不幸せな時が一番愛されたりとかっていう錯覚を感じやすいんじゃないでしょうか。なので、「幸せ上手になろう」というのはよく周りの人たちと話しています。ほんっとにくだらないことでも、「幸せだね」とか「お弁当が美味しいね」とか、そういったことを毎日感じながら話していますね。
――日常の些細な瞬間を改めて愛おしく思うことが大切ですね。最後に、20代で映画を撮られたエライザさんの活動は、たとえば「自分は若いから」とか「女性だから」といった理由で、日頃多くの場面で尻込みしてしまう人々に多くの刺激や気づきを与えるのではと思います。ご自身としてなにか感じる部分はあるのでしょうか?
こればっかりは本当に性格で、男女で言うと私にジェンダー感がそもそもない。女性であるとか男性であるとか、女性が好きとか男性が好きとか、考えたことがないというか。なので、男性であっても女性であってもメリットもデメリットもあるし、私がこういったお仕事をすることによって、うっかりですけど、元気になれる人がいたら私もちゃっかり嬉しいなというぐらいですかね。「女性だから女性のために」という思いは、全くないわけではないですけど、そこが原動力になると自分を支えてくれている男性陣に対してもちょっと見方が変わってきちゃうのかなと。本当にフラットに、対等に良い現場を作れればいいなと思う。もちろん凄く苦労しますし、大変ですけど、やれるならやる。それだけですね。
●池田エライザ
’96年生まれ。福岡県出身。近年の主な出演作は『ルームロンダリング』(’18)、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(’18)、『億男』(’18)、『映画 賭ケグルイ』(’19)、『貞子』(’19)など。Netflixオリジナルドラマシリーズ「FOLLOWERS」が配信中。本作が初監督作品となる。
■映画『夏、至るころ』
ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13、ユナイテッド・シネマ トリアス久山、ユナイテッド・シネマ なかま16、小倉昭和館にて上映中
© 2020「夏、至るころ」製作委員会