【福岡麺本2022 – vol.11】屋台時代からの思い出の味「長浜ナンバーワン」『長浜ナンバーワン 祇園店』
\ラーメンライター【上村敏行】が行く/
屋台時代からの思い出の味
「長浜ナンバーワン」
ラーメンを爆食している中
帰りたくなる『ナンバーワン』
ラーメンの嗜好は、その人の幼少時や若い時分にどのようなラーメンに親しんできたかが大きく左右する。さまざまな新味を体感する中でも、自身のラーメン観の芯となるような、愛すべき一杯が皆にもあるだろう。
僕は鹿児島で生まれ育ち、ラーメンは週末の昼食、往々にして出前でも食べるものだった。そして約20年前に福岡に出てきて初めて経験した長浜屋台のラーメン。細麺、替え玉、オープンエアの雰囲気、そして安さ。すべてが新鮮だった。
特に『長浜ナンバーワン』はライターの原点となった特別な屋台だ。当時駆け出しのライターであった僕は、長浜にスタジオがあったことから、撮影に立ち会った夜は決まって『ナンバーワン』のラーメン。鮮明に思い出す。交差点からはみ出る長蛇の列、調理の炎を浴び黒ずんだ屋台背面のコンクリート壁。今思い出すとグレーゾーンの増設席。僕の先輩は、年200日は通う強者で、スープの出来を愛着を込めて批評したり、超常連ゆえに自分で替え玉をあげたりもしていた。カオス…。僕は眠い目をこすりながら、塩気のバリッと効いたスープを注入し、「明日も頑張ろう」とパワーチャージ。『屋台ナンバーワン』は、心と舌に深く刻まれている。
屋台から路面店へ幅を広げ
名実共に長浜ナンバーワン
伝説の『屋台ナンバーワン』は閉店してしまったが、現在は店舗で屋台源流の長浜ラーメンを味わうことができる。系列8店を率いているのがに2代目店主の種村剛生さん。種村さんにもまた『ナンバーワン』の味に惚れ込む常連の一人であった。「屋台にこげんうまいラーメンがあったと」。衝撃を受けた種村さんは初代・竹中忠勝さんの元で皿洗いから始める。休みなしで屋台の激務をこなし、師匠の手仕事を背中ごしに見ながら習得するなか、湧き上がってきた路面店構想。「オヤジ(竹中さん)と共に作ってきたラーメンに絶対的な自信があったけん昼からうれるはずと確信。屋台でビール片手に楽しむラーメンからランチで白飯と啜るラーメンへ、新たな挑戦をしたかった」と種村さんは振り返る。2006年に店舗1号店を祇園に開き瞬く間に人気店へ。「昼も売れるはず」から路面店もオープン。そして「全国で、世界でも売れるはず」と活躍の場を広げてきた。
種村さんは自身のラーメンを“正統進化”と表現する。「伝統を重んじ、軸を持ちながらより旨いを追求する。それが正統進化。お客さんの舌も肥えてきとうから、全く同じじゃつまらん」と種村さん。具体的には豚骨濃度が格段に上がっている。屋台は現場で炊き込むものであったから火力、濃度も高くなかった。骨の部位も現在はより細分化して仕入れられる。時代のニーズに合わせ洗練された濃厚ラーメンに進化しているのだ。「お客様に感謝。そして、頑張ってくれているスタッフたちにも感謝。ここまで続けられたのも皆がナンバーワンを愛してくれたから。“ありがとう”の気持ちを込めた50周年祭も状況を見ながら開催したいね」。ラーメン界の頼もしい兄貴分、種村さんの動向に注目したい。
[所]福岡市博多区祇園町4-64
[☎]092-263-0423
[営]11:30〜24:00(金・土曜~翌1:00、日曜~22:00)
[休]不定
※掲載の内容は取材時のものです。取材日と記事公開日は異なる場合があり、メニューや価格、営業時間、定休日など取材時と異なる場合がありますので、事前に公式HPやお問い合わせにてご確認をお願いします。
※お出かけの際は、新型コロナウィルス感染拡大防止に十分ご留意ください。
※この記事は「福岡麺本2022Vol.11」より抜粋して記載しております。