【インタビュー】Fuku Spo – アビスパ福岡/鶴野怜樹
FW 鶴野怜樹(背番号28)
怪我を乗り越え、掴んだチャンス。
初出場、初スタメン、初ゴール、初アシスト、代表候補選出…。
充実したプロ1年目のシーズンを送る鶴野怜樹だが、
その裏には怪我に苦しんだ過去があった。
取材・文/岩井咲里香
イメージが現実に
「ロッカールームに戻った瞬間、これまでの苦しかったことを全部思い出して、泣きそうになりました」。
3月8日、ホームで開催されたルヴァン杯GS第1節アルビレックス新潟戦。今季加入した大卒ルーキー・鶴野怜樹はこの日、鮮烈なプロデビューを飾ることとなる。両者一歩も譲らず迎えた後半59分。佐藤凌我のスルーパスをダイレクトで流し込み、決勝点となるプロ初ゴールを決めたのだ。
「大学3年生の時に内定をいただいて、デビューするチャンスはたくさんありましたが、怪我が多くて遅くなってしまって。大学の周りの選手が活躍している中で、リハビリしかできなくてもどかしかったです。でも、プレーできない分イメージするしかなかったので、デビュー戦で点を取ることだけを考えながらリハビリに励みました。苦しくて悔しい毎日を過ごしていたので、そのイメージが現実になって本当に嬉しかったです」。
その後、リーグ戦でも徐々に出場機会を増やし、第10節川崎フロンターレ戦ではJ1リーグ初ゴールも決めた。
そんな彼の武器は圧倒的なスピード。一瞬で最高速度まで加速できるので、ペナルティエリアでいち早くボールに反応できる。
「小学生の時から運動会や持久走はずっと1位でした。中学時代、駅伝大会の時だけ陸上部に駆り出されたんですけど、区間賞を記録できて。高校進学のタイミングで陸上の推薦もあったという噂も聞いてます(笑)」。
離れてみて気付いた、サッカーへの情熱と思い
サッカーボールに触れたのは幼稚園生の頃。同じ団地に住んでいた親の友人が小学生のサッカーチームを立ち上げ、一歳年上の兄が入ることに。その練習に付いて行って、端の方でボールを蹴ったりしていたのが始まりだった。
しかし、彼は節目ごとに「いつ辞めようか」と考えていたという。
「サッカーを続けるか、ずっと迷っていました。進路を決めるタイミングで毎回楽な道を選ぼうとしていたんです」。
とはいえ、彼は生まれ育った熊本県からほど遠い、島根県の強豪・立正大学淞南高校へと進学。まったく楽な道ではないのでは?と尋ねると、「めちゃくちゃ行きたくなかったです。本当は地元の高校に行って、バドミントンがしたくて…。お兄ちゃんがその高校に通っていたので、それを追う感じで半ば強引に行かされました」と、苦笑いだった。
高校2・3年時には、全国高校サッカー選手権に出場。初めての選手権は初戦敗退に終わり悔し涙を飲んだが、その一年後、ベスト16まで勝ち進む。
「本当にやり切ったというか、最後の選手権で燃え尽きた自分がいました。もう苦しい思いをしなくていいんだって。だから、福岡大学から推薦をいただきましたが、行くか悩んでいました。でも、担任をはじめとする先生方の後押しもあって、福岡大学への進学を決めました」。
大学に入学後、彼はすぐにトップチームに入り、周りの雰囲気に圧倒されて奮起。チームの目標である全国制覇を目指してがむしゃらに追い込んだ。しかし、ここから怪我との長い闘いが始まる。
「肉離れは3回経験しているんですけど、夜に一人で寝ていると、その肉が引きちぎれる感覚がフラッシュバックして、眠れない日が続きました。長いリハビリを経てやっと復帰できたと思っても、また怪我してふりだしに戻る…みたいな。本当にしんどかったですね。2年の時の右膝半月板損傷はサッカー人生で一番大きい怪我だったんですけど、サッカーから離れて、『自分にはサッカーがないと生きていけないんだな』って再認識できたし、動けないなりに、様々な視点で選手やチームを見ることができて、心身ともに成長できたと思っています」。
プレーできない時間が長かった大学時代だが、3年時のインカレ・法政大学戦は印象深い試合だったという。
「夏の総理大臣杯の全国大会で、僕たちはコロナの影響で出場辞退せざるを得なかったんですけど、対戦するはずだった相手が法政大学で、そこが優勝しちゃったんですよ。だから、僕らも冬こそはリベンジしようっていう気持ちでやっていたら、インカレ2回戦で法政大学と当たることが決まって、チームもかなり燃えてて。相手はプロ内定が10人くらいいたんですけど、その試合で自分がゴールを決めて勝てたので、気持ちよかったですね。法政大学とは因縁があるのか、僕が1年の時にも負けていて、その時ゴール決めたのが当時4年生だった紺野和也選手です。和也くんに初めて会った時にこの話をしたんですけど、あんまり覚えてない感じでしたね(笑)」。
二度と来ないチャンスを必ず掴み取りたい
楽な道を選ぼうとしていた彼だったが、自身の才能と努力、そして多くの人の導きがあって、今の鶴野怜樹がある。そしてプロになった今、キャプテン・奈良の存在が大きいと話す。
「奈良くんには本当によくしてもらっていて、チーム内でも一番話していると思います。常に奈良くんのことを見ていると、こういう選手になりたいって思います。最初はめちゃくちゃ怖くて、練習参加の時も怒られたんですけど、それは僕に期待してくれているからだと捉えていて、本当に恵まれているなって。奈良くんはいろんなチームでレベルの高い経験をしていて、1年目からの積み上げが良い未来に繋がると話してくれたので、日頃から高い意識でトレーニングできています」。
4月にはU-22日本代表候補に選出された。来年開催されるパリ五輪への扉が、彼にも開かれたのだ。
「自分は早生まれなので後輩が多かったんですけど、本当にレベルが高くて。でも、このチャンスは二度と来ないし、手が届きそうなところまで来たので、絶対に掴みたいです」。
彗星の如く現れたスピードスターが、日本中を歓喜に包む瞬間を目撃したい。
【プライベートQ&A】
Q.最近ハマっていることは?
A.小さい頃からゲームが好きなんですけど、大学時代にSwitchを買ってからはずっとスマブラをやってます。大学生の頃は、オフの前日にゲーム好きな友人と夜更かしして、気づいたら10時間経ってたこともありました(汗)…。あとは、岩盤浴が好きなので、この前もオフの日に重見(柾斗)と行きました。
Q.大学時代、スポンサーでもあるウエストでアルバイトされていたとか。
A.さっき話したゲーム好きの友だちとは、マンションも一緒で一番仲良かったんですけど、その友だちが近くのウエストで働いていて、紹介してもらいました。3年の時に内定貰って、スポンサーにウエストがあるって聞いて、「自分、今働いてますよ!」みたいな(笑)。辛いのが好きなので、賄いはよく『旨辛うどん』を食べていました。
〈PROFILE〉
鶴野怜樹
フォワード 背番号28
生年月日 2001年1月26日
身長162㎝ 体重68㎏
出身地 熊本県
今季加入の大卒ルーキー。立正大学淞南高校(島根)時代には、全国高校サッカー選手権に2度出場。卒業後は福岡大学へ進学し、’21年アビスパ福岡に内定。大学時代は怪我に悩まされたが、公式戦では既に3得点をマーク。4月にはU-22日本代表候補に選出された