【福岡ラーメン物語 のぼせもん|55杯目 福はこび】
「ラーメン屋ってやはり面白いですね。お客様の笑顔が何より嬉しいです。」
ただひたすら豚骨に向き合い続けて15年。博多では誰もが知る人気店を兄と力を合わせて作り上げた。そして次は醤油ラーメンに全身全霊をぶつける日々が始まった。すべては自分が生まれ育った地元の町の人たちのために。
福はこび
山田章仁(Akihito Yamada)
1990年、 福岡県福岡市生まれ。6年間の修行を経て、兄と共に独立して2012年『博多一双』を創業。以降市内に3店舗を構える。2021年9月、待望の新ブランド『福はこび』を姪浜にオープン。
博多屈指の人気店『博多一双』。2012年の創業以来、着実に3店舗を展開し、いずれも長蛇の列を作る行列店へと上り詰めた。そのラーメンは「豚骨カプチーノ」の異名を持ち、濃厚でバンチのある味わいで、ラーメンにはうるさい博多っ子はもちろん、観光客など県内外の人々からも熱い支持を受けている。今、福岡で一番勢いがある豚骨ラーメン店と言っても良いだろう。そんな『博多一双』が今までとは違う新たな店をオープンさせた。それが『福はこび』である。
姪浜の閑静な街並みにしっくり馴染む、どこか懐かしさを感じる佇まいの店構え。店の外にまで聞こえる中華鍋を振る音。出て来たラーメンはキリリとした表情の醤油ラーメン。豚骨一筋で十年走り続けて来た『博多一双』のイメージとは全く異なるものだ。
「気軽にふらっと入れるような、地域密着型のお店を作りたいねと。ドラマの『渡る世間は鬼ばかり』に出て来る『幸楽』のような、ずっと地元の人たちに愛されるラーメン店を目指して立ち上げました」。
21歳の若さで4つ上の兄、晶仁さんと『博多一双』を創業した山田章仁さんは、16歳の時にラーメン業界に身を投じた経験豊かなラーメン職人。兄と二人三脚で博多で誰もが知る人気店を作り上げて来た。
「中学生の時に兄から『将来は一緒にラーメン屋をやろうぜ』と言われたんです。兄のことが大好きだったので嬉しかったですね。それで卒業後に兄のいるお店へ入って、6年修業を積んで一緒に独立しました」
子供の頃から豚骨ラーメンが大 好きだった山田兄弟。自分たちにとって一番身近な存在だった豚骨ラーメンで日本一になりたい。大きな夢を掲げて『博多一双』を創業し、店主である兄を支えて来た。
「兄は味作りや決断力が凄いので僕は敵わないのですが、僕は物事を整理したり計画を立てて前に進めていくのが得意なので、お互いに弱点を補えていると思います。兄弟なのでお互いに気兼ねなく言いたいことが言える関係性が良いですね」。
姪浜は山田兄弟が育った町だ。大好きな地元を自分たちのラーメンで元気にしたい。店舗は50年以上姪浜で愛されて来た中華料理店の場所を借りた。料理や接客を通じて、たくさんの人に幸せを届けたい。店名は『福はこび』に決まった。
「店舗は一目惚れです。ずっと地元の人に愛されてきた店とその思いを継いで、こういう店の存在を守っていきたいと思いました」。
自分の故郷である姪浜にオープンして3ヵ月。早くも顔なじみの常連客も出来、話しかけてもらえることも増えて来た。章仁さんも気さくに声をかける。『福はこび』にはいつもたくさんの笑顔があふれている。
「慣れない鍋振りで腱鞘炎にもなりましたが、ラーメン屋はやはり楽しいですね。一人一人のお客様の笑顔を見ながら仕事が出来る。まだオープンしたばかりですが、歴史を重ねていって、姪浜の人たちにずっと愛されるお店にしていきたいです」。
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●取材を終えて
十年先もきっと愛される味と店
山田兄弟とは彼らが二十代の頃からの長い付き合いになりますが、若いのに妙に浮ついたところがなく、真面目にラーメンと向き合う姿勢は初めて会った時から今も変わっていません。『博多一双』のラーメンは十年経った今も変わらぬ味と姿で支持を受け続けていますが、それは流行り廃りに流されることなく、美味しいラーメンの本質を考え抜いて辿り着いた一杯だったからでしょう。そして今回の『福はこび』のラーメンも、これまた非豚骨のブームとは無縁の、ある意味オーソドックスでノスタルジックなラーメンをアップデートしたような仕上がりでした。このラーメンもこの店も、今だけでなくきっと十年先も同じように愛されているはずです。
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掲載の内容は取材時のものです。取材日と記事公開日は異なる場合があり、メニューや価格、営業時間、定休日など取材時と異なる場合がありますので、事前に公式HPやお問い合わせにてご確認をお願いします。
味の喜び 福はこび 姪浜本店
【所】福岡市西区姪の浜4-11-23
【☎】092-883-0178
【営】11:00~22:00
【休】不定
【P】なし
カード/不可