【九州三菱自動車】(Car Life vol. 150)天草四郎の真の姿と 民衆の熱き思いを今に伝える資料館
▶︎▶︎前回の記事:Car Life vol. 149「オリジナルのクラフトドーナツと自家焙煎のコーヒーでホッと一息」 ◀◀
はじめまして!
熊本中央スズキ自動車・アリーナ天草中央の久保です。
(写真左の後ろ姿が私です)
入社して3年目、時間があればキャンプに出かけています。ここ天草にもたくさんのキャンプ場があります。アリーナ天草中央で私にお声をおかけください。オススメのキャンプ場をご紹介いたします!
今日は、天草キリシタン史の玄関口、上天草市にある「天草四郎ミュージアム」をご紹介します。
ここ天草は、キリスト教の布教期から禁教期の転換を確立する島原天草一揆の舞台となった場所です。
幕府による厳しい禁教政策の中、寛永14年(1637年)、天草四郎を首領とした一揆「島原の乱」が発生。天草と島原の老若男女一揆勢約37,000もの人々が当時廃城であった長崎・南島原の原城に籠城。3ヶ月もの間、幕府軍と激しい戦いを繰り広げます。最終的には食糧も弾薬も無くなり、陥落。
一揆軍は幕府軍の総攻撃により全滅。この時、天草四郎も幕府方に討ち取られたと伝えられています。
その中でも信仰心は絶えず、明治政府によるキリスト教解禁となると復活を迎えます。
そんな歴史と物語を、天草四郎ミュージアムが所蔵する貴重な信心具や絵画、古文書などの資料を通じて天草キリシタン史を知る・学ぶことができます。
一説には、実際に乱を計画・指揮していたのは浪人や庄屋たちで、天草四郎は一揆軍の戦意高揚のシンボルであったと言われてもいます。
その当時、まだ10代半ばということも考えれば、そうだよなぁとも思います。
その他にも上天草と島原の間に浮かぶ湯島まで海の上を歩いて渡った⁉︎など、天草四郎には数々の伝説が伝えられています。
先人たちの歴史と積み重ねがあったからこそ、こうやって今の自分がいると考えると感慨深いものがあります。
地元・天草のことをもっと勉強していこうかな。
今日はスズキ・スペーシアカスタムで天草四郎ミュージアムまで行きました。
このスペーシアカスタムは、メーカーオプションでスズキコネクト対応通信機(全方位モニター付メモリーナビとセットオプション)を選ぶことができます。
その機能の中に「スズキ緊急通報 ヘルプネット」というものがあり、事故発生時には自動でオペレーターに接続。また、急病時などはSOSボタンを押してもオペレーターにつながり、消防や警察への通報をサポートします。
また、このオプションを選ぶと全方位モニター用カメラも付いてくるので、クルマを真上から見たような映像がナビ画面に映し出され、目視しにくいエリアの周辺確認をサポート。数々の安心・安全装備が付いているのもこのスペーシアカスタムの魅力です。
熊本中央スズキ・アリーナ天草中央、アリーナ富合でぜひご体感ください!
皆さまのご来店をお待ちしております。
天草四郎の真の姿と
民衆の熱き思いを今に伝える資料館
伝説と謎に包まれた16歳の少年、天草四郎を中心に繰り広げられた「島原天草一揆」。天草四郎ミュージアムでは、「島原天草一揆」の歴史的背景および南蛮文化の影響を受けた当時の模様を映像などのメディアと資料で紹介しています。
▽▼九州三菱自動車Official account▽▼